よろこんで!!

お取引先に仕事を委託する立場になって思ったのは、居酒屋でありがちな
「よろこんで!!」
の姿勢って大事だなということ。

例えば仕事をお願いしたときに、
「実施にあたり、○○をいただけませんか」
というのと、
「○○でないとできません」
というのと。

他にも言い方は色々あるけど、やりたくない感、めんどくさい感が前面に出ているとすごく頼みにくいし、まぁ正直、サヨナラって思う。

自分が切られた側にいたこともあり、反省しきりな部分もありつつ、仕事はいくらでもいつまでもあると思ってちゃいけないなーと。

後輩や部下がいるなら、めんどくせーなと思っても反発から教えてはいけない。

と、肝に銘じた。
反面教師。

嫌でも人生は進んでいく。
変わるスピードが違ったのだと誰かが言いましたが、変化に別れは付き物だ。
望もうが、望まなかろうが。

広告

日曜よりの使者(違)

こんな時間に小腹がすきましたこんばんは。
久しぶりにお芝居を観てきました。

「WHO IS SUNDAYMAN」 @学芸大学 千本桜ホール
※千秋楽終わってますが、一応ネタバレ風味なので注意。
 私のブログ読む人と、このお芝居観る人の層はかぶっていないと思うけど。

開演前のBGMが「ヒーロー」で統一なのねー、と思ったらそういう意味かと。

開始5分で、「ロボティクスノーツか?」と思う。
結果、当たらずとも遠からず・・・。種子島だからねぇ。

空想科学、およびヒーロー好きにはたまらん内容でしたが、
開演まではこの方向に行くと想定していなかった私が浅はかなのか。
前知識なく観て、かつ空想科学興味ない人の感想が気になるところです。

役者さんがタイプ別イケメン展の様相を呈しており、それはそれで面白かったです。
みんな背高い。細長い。

お芝居っていつぶりだろうと思ったんだけど、恐らくワニズホールで
イナズマが挿入歌のやつを観て以来ですね。

さらに考えてみると、二人芝居でもミュージカルでもないお芝居って何年振りだろう。
自分で観に行ったお芝居を考えていくと、ミュージカルしか見ていないんだよな・・

いやほんと、ライブでもなんでもそうなんだけど、好きならちゃんと動かないといけないなぁ。

と。

走馬灯

金曜日。
かれこれ3年ちょっとの付き合いとなる職場の先輩とも上司とも言える人と、新宿で飲んで笹塚で別れてタクシーで北上し、帰宅。

場所がぐるぐる移転したラジオ収録の最終地であった笹塚から、方南町、東高円寺、高円寺、自宅近辺と、なんか東京に出てきてから自分が巡った場所たちが、走馬灯のように過ぎていった。

おおよそ、環七沿いに生きていたのだ。

土曜日、誠さんのライブを見に行って、懐かしい曲をいくつか聴いた。
非常に胸アツだったし、とても楽しかった。

いろんなことを思って、とにかく皆好きに生きれば良いと思った。

日曜日、仕事中にラインの電話が鳴り、折り返したら弟の就職報告だった。
聞いてる限り、かなり本人の希望と経験・知見に沿ったところに決まったようだった。

きつそうだなーと思うけど、この時代、サービス業なんかみんなブラックだから!!!(ミもフタもない)

私だって人によってはブラックとか社畜とか言われる環境で楽しく仕事をしているわけで、心と身体を壊さない限りは楽しめりゃ良いのだ。

総じて、良い週末であった。
なんか、ほんとにここ数年の人生のまとめみたいな3日間だったね。

東京が暮れていく

暮れです。
寒いです。
1年、本当にあっという間でした。

いろいろあった。

昨年末から膀胱炎になってあれやこれやで1月は体調不良が続き、
落ち着いたと思ったら祖父が亡くなり、
仕事で使うツールの変更、一斉リストラからの派遣社員化、
そこからは日々、いろんなことにチャレンジをさせていただきながら
月を追うごとに状況が変わっていって・・・

プライベートは引き続き残念な感じでしたが、
そばにいてくれる人たちとのつながりというのはより感じられた気がします。

総じて、大変だったけど良い1年でした。

来年は仕事面での更なる飛躍と、そろそろリア充目指して頑張る所存です。

引き続き、よろしくお願いいたします。

追記:
今読み返していたら、5月に書いていたゲームショウビジネスデーに行く、
という夢は果たせたんだなぁ。
それだけで大きい1年だった。
残り2日、まずはやりきろう。

親愛なる友人へ

isaoくん。
二度目のワンマンおめでとう。

PV制作に加担しておきながら、初ワンマンは法事でいけませんでした。
で、二回目。

すごく久々に、フルで歌うisaoくんを見たけれど、とてもよかったです。

普段ノホホンとした顔をして、隣(あるいは正面)で酔っぱらっているisaoくんが、
バンドを従えてきりっと歌っている様は、なんだかにやにやと、
そして幸せいっぱいに、心を打ちました。

私と、そして隣にいた不良ミュージシャンは、
たぶんそれぞれに宿題をもって、雨の中を帰りました。

アンコールで歌っていた「青空」は、私にとっては本当に本当に大切な曲で、
変な話、中途半端な演奏では許せないような曲なのだけれど、
isaoくんにはどう料理されても構わないというか、「あ、これはありだ」と
思わせるような説得力がありました。

私は大体、酔っぱらうと大きなことを言い出すので
まぁあまり信用ならない言葉ではあるのだけど、
みんな好き勝手に、好きなことをやって死ねばいいんだよ。
と、思いました。

好きに生きてください。
そう思える、一人ではあります。

yes!

クリエイター気質ではあんまりなかった

久々になんか書こう。

なに書こう。

運命というか、命運というか、面白い人生だなぁ。
と、思う。

子どもの頃、ゲーム作る人になりたくて、なんかとにかくクリエイターってものに憧れて、流れ流れて作詞始めて、作詞家になるために食い扶持は確保しようと就職して、仕事でちっちゃい広告的なの作ったりして、なんか知らないけど営業やって、イライラして音楽始めて、そのためにフリーターになって、たまたま入ったバイト先がゲーム業界の端っこで、トントン拍子に出世して、忙しかったり色々あったりで音楽一旦やめて、ゲーム制作ではないにしても、真ん中には近づいた、なう。

仕事運と引き換えに、他のいろんな運や縁には愛されてない気がするけれど、これ以上なにかを欲しいと思うのは贅沢なのだろう。

子どものように我が儘に、やりたいこととやれることを繰り返した結果、一度は手が届かないと思っていた世界に触れられるっていうのは、幸せ以外の何ものでもない。

私の夢は、ビジネスデーに東京ゲームショウにいくことだ。
昨今やってる、セミナーへの参加とかじゃなくて、業界の人として。

これは、ミュージシャンがメジャーで音源出すくらい、私のなかでは大きなこと。

まだもうちょっと、手が届かないかもしれないけど、あり得なくはないところまでは来た。
実はもうちょい行ける気もしている。

人事を尽くして天命を待とう。

 最近夢をあまり見なくなった。歳のせいで脳のめぐり具合が衰え、夢という夢には縁遠くなった。
 「青雲の志」なるものも、もうとっくに夢と消えた今、夢を見ようという大それた希望も儚いものになった。
 見る夢は過去のものが多く、現在から先の夢は「通行止め」、後ずさりするものばかりである。
 そんなある日、こんな夢を見た。
 街を歩いていると、向こうから来た老人が驚いたように立ち止まり、私に言った。
「○○君じゃないか」
「いいえ、私は○○ではありません」
「いや、失敬した」
老人は軽く会釈をして通り過ぎて行った。
 またしばらくすると、向こうから来た老人が驚いたように立ち止まり、私に言った。
「○○君じゃないか」
「いいえ、私は○○ではありません」
「いや、失敬した」
老人は軽く会釈をして通り過ぎて行った。

 私は思った。
 夢の中の私は現在の私でなく違う次元の私なのである。通り過ぎて行った老人はその次元の知人であり、私は現在の次元の私なのだ。
 現在と過去が一つの次元で重なり合う、それが夢なのだ。起こり得ないことが起こり得る、それが夢というものなのであろう。
 だから、夢は楽しくもあり、ばかばかしくもある。

(了)

以上が私の祖父、関和時男の最後のエッセイであるらしい。

10年ほど前、祖父から就職の内定が決まったお祝いのメッセージを葉書でもらったことがあるが、濃い青の万年筆で書かれたその文体はいかにも老人、というものだった。
こんな平易な文章かけたんだねぇ。
私と祖父は、文章について影響を受けた道筋はまったく違うはずだが、この「夢」というエッセイは私自身が書いていてもおかしくないほど、癖というか、傾向が似ている。
と、自己分析をする。

血ってすげぇなぁ。

祖父は本当に天邪鬼で、素直ではない頑固ジジイだった。
表では好々爺で通っていたようだが、家の中では優しいけれどもひねくれものでもあった。
(同居していたわけではないので、詳細は知らないけれど)

子どもの時分は、初孫ということもあり本当に可愛がってもらったものだが、思春期を迎えて以降は、ちょっと「大人なんだから」という態度を取られていた気がしていた。
一人前の大人として扱ってくれたことはとても嬉しかったのだけれど、祖父に甘えるということもあまりしなくなっていた。
もちろん、幼少期ほどべたべたに可愛がられていなかったという話であり、意地悪されていたとかそんなことはない。
随分と可愛がられていたとは思う。
ただ、祖父には祖父の世界があると、漠然と思って距離を置くようになった部分はある。と、今になって思う。

死後、祖父の親しくしていた方とお話をした際には、「孫が構ってくれない」とこぼしていたそうだ。

そんなことはなかったんだけどなぁ・・・

ああしかし、もっともっと、仲良くすることだってできたのだ。

正直、どうしようもなかったと思うので、後悔ということはしていないのだけれども、もっと祖父の書いた文章を読んだり、自分の文章を読んでもらったりしても良かったなぁと思う。
EVERNOTEの勉強なんかもしていたらしいので、そういうやり取りだってできたはずであった。
私の文は、一時期読んでくれていたようではあるけれども。

とりあえず、後何十年私が生きるのかはわからないが、あの世に行った際には色々話したいと思う。

別に仲が悪かったわけでも、誤解があったわけでもない。
私はきっと愛すべき孫であったし、私から見ても祖父は本当に大好きな人だった。

お互いの性質上、落ち着くところに落ち着いた。それ自体に後悔も反省もない。
ただ、私は今、生きて一緒に過ごしている人にはできるだけ素直に接しようと思った次第である。

一つ、祖父の死に際して私が後悔していることと言えば、叔母と私を間違えることが多くなっていたことを(というか、最終的にはどっちかというと叔母だと思われていた)正さないでいてあげればよかったなぁと。
そしてそれを、祖母や母にも言うべきだったと。
最後に会った日、祖父は私を「孫のみのり」として認識していたが、恐らく、どこかで「また間違えていないか」と思っていたのではないか。
私を見る目に、多少の不安があったように感じる。
本当に今にして思うと、なのだけど、それはとても可哀想だった。
別に、「娘のさつき」と思っていても良かったのだ。
死んじゃったから言えることだけれどね。
その時点では少なくともあと何回かは、会えると思っていたし。

ロックンロール的には、死後の世界とか馬鹿馬鹿しいのかもしれないけれど、私はなんとなく信じている。

人の死というのは、死ぬ側が何かを残そうとか伝えようとかするとなんだかズレてしまうことが多いけれど、残された側が勝手にあれこれ考えたり悩んだり納得したりする分には、非常に得るものが多い。
そのひとつの落とし処として、「死後の世界」というのは非常に大事な要素であると思う。

あの世では好きなもの食べて元気にやってるんだろうな、とか。
今私がこんなものを書いていることを、「あいつはまたあんなことして」なんて、フフンと笑っているのだろうな、とか。
そう思わんと、悲しくて仕方がない、ということも多分にある。

まぁ、とにかく、死ぬまで私は楽しく生きる。

最後に、「夢」を教えてくださり、掲載を快くお許しくださった「文章の会 せせらぎ」の佐久間様には、心からお礼申し上げます。

また明日ね

横たわる祖父の額を祖母が撫でて、
「また明日ね」
と言ったとき、涙が溢れて溢れて止まらなかった。

別に祖父が生きるの死ぬのって状態なわけではなく、
仮に死んでしまうとしても、それを憂いて出た涙ではない。
(亡くなってしまったらそりゃもう悲しいけど)

そのやり取りこそ、愛そのものだと思ったからだ。

偏屈で我儘な祖父に対しては、
祖母なりに思うこともあったらしいことは、
孫の目にもよくわかった。
ノイローゼっぽい時期があったことも知っている。

でも、いざ離れてみたら、
祖父のことが大好きで仕方なかったんだろうなー、
ということが、その短い仕草と言葉から伝わってきた。
恋する乙女さながら、祖父と一緒にいたいんだなーと。

60年近く連れ添って、やっぱり大好きだと思えるって素晴らしい。

「色々ありはするけれど、それでも大好き!!」に勝る愛ってなかなかないかもね。

孤独の化身

明けましておめでとうございます。(遅)

昨年末からずーーっとうっすら体調不良だったのが、口内炎を残して治ろうとしています。
嬉しいのは、秋から悩んでた神経抜いた後の歯痛が、どうも解決に向かっているらしいことです。

仕事はバタバタしていて、帰宅はほぼ23時頃。
12時間近く職場にいる計算です。

8時間寝たら遅刻するので、睡眠時間確保できませぇん!と青島刑事ばりに医者に泣きついたら(嘘)、「趣味とかは休みに回して、とにかく寝る時間を最優先に確保してください」と言われました。
しかし、早く帰れるようになる見込みもなければ、任意で休める日数も狭まってきています。
3月あたりに一発連休とかいれてどっか行きたい…
ここを逃すと、次いつできるかわからないからなー。
しかし、「3月になったら連休とるからさ」って言葉を連想すると、最早死亡フラグおったてまくりにしか見えない。

でも、本当に死ぬときに後悔はしたくないからねー。
会いたい人に会って、好きな人と好きなことをし続けたい。

などなど。
今のところ、目に見えて死ぬ予定はないのだけど、色々と考えてしまいました。
少しだけ、生きることや死ぬことの準備もした。

先週、ピンチヒッターでカットウのPAをやってきました。
とても楽しかった!
久々だったけど、できるもんだねー。
変な癖やこだわりが抜けた分、良い音になっていた気もするのです。

またやりたいけど、まだまだ当分はそんな状況なので、まだちゃんと戻るとは言えないなー。

とにかく、良い未来が見えないのが一番堪える。
仕事は仕方ないから、せめて私生活では楽しいことを見つけて行きたいなーと思っています。

寝るぞ!!!

forever young

ご無沙汰しております。
ボケボケとしているうちに、30代になりました。
皆様のお陰です。
何名かにはお祝いまでして頂き、ありがとうございます。

何で更新してなかったかというと、最早スタッフでも弾き語りやっている人でもない日が続いているためです。
このブログは、元々お知らせとか近況報告用なので。

各SNSでは色々書いていますけどもね。
このブログだけの読者って殆どいないだろうから、まぁ、支障ないといえばないんですけど。

ただ、久々にアクセス数を見たら、なんだかんだと毎日数アクセスはある様子で、
中には全然こんなブログ読みたいんじゃないんだろうなっていう検索ワードもちらほらあり、
申し訳ないながらもありがたい限りです。

新宿御苑のRUTOに割とよく行くのですが、関口さんから
「ライブなんて必ずしも気張ってやらないでいい。色んなスタンスがあっていい」
ということを仰って頂き、それはすごくわかるなぁと。
最終的には出ましょうよってお誘いなんですけど、発言そのものは本音なのだろうし、
私なんぞにそんなことを言い続けてくださるのは某柴田さんと関口さんくらいなもので、
決して決して悪い気分ではなく、本当に嬉しいです。

でも、今は本当に歌いたいことないんだよねぇ。
歌うこと自体は楽しいからカラオケ行きたいなってくらい。
そうはいっても曲がりなりにも弾き語りやって、ロックだなんだって言ってた人なので、
ライブハウスでカラオケはしたくないし。

作詞も、なんか断片はたまに出てくるんだけど、
特に歌詞としてまとめたいとか歌いたいとかそういうものはなくて、
本当に出ては消えていく散文だけがあったりなかったり。
もっと、大人になったら、こういうものをまとめながらちょっと歌ったりとかも
できるのかもしれないけど、そういうことはまだ考えれられないですね。

歌を歌うことを、趣味以上のものにはしないと思う。この先。

今のところはね。
仕事が楽しいです。
ここで、なんとかいけるところまでいきたいと思っているから、
それが折れたときにどうなるか分からないけれど、現状は折れる予定もないので。
世知辛い世の中なので、どうなるかはわかりませんけれど。
いけるところまでいった結果が、どこなのかもちょっとよく分からないし。
でも、自分の中ではすべてつながっているつもりです。

カットウのスタッフは、そろそろ隔月くらいで企画を組むくらいしたいなぁと思っています。
「葛藤」も書きたい。
ただ最近、自分としては大満足だった睡眠の習慣が異常かもしれんって話を医者にされ、
「熟睡すること」「7時間寝ること」を心がけているのでなかなか無理はできなかったりします。
そうでなくても、週1~2ペースでは酒飲んでるので(逆に言うと、連日飲んでいるわけではないのだ)、
寝れる日はしっかり寝なければならないようです。

バイト行って働いて帰ってきて寝る、が日々の基本。
たまに飲みにいったりライブ見にいったりして、飲んだくれて帰る。
休みの日は日中に家事をする。
ゴミの日の前日に、時間があったら料理をする。
本当にその繰り返し。

でもその毎日にも変化はあるし、落ち込みや成長や、心が動いたりすることもあって、
決して退屈ではありません。

これから春くらいまで、ノンストップで状況が変わっていきます。
夏には落ち着いたらいいなぁってくらい。落ち着かないんだろうけど。

白髪が増えて、同僚には髪染めたら?と言われました。
近々美容室行くので、相談してみよう・・・

そんな近況です。
チャオ。