最近夢をあまり見なくなった。歳のせいで脳のめぐり具合が衰え、夢という夢には縁遠くなった。
「青雲の志」なるものも、もうとっくに夢と消えた今、夢を見ようという大それた希望も儚いものになった。
見る夢は過去のものが多く、現在から先の夢は「通行止め」、後ずさりするものばかりである。
そんなある日、こんな夢を見た。
街を歩いていると、向こうから来た老人が驚いたように立ち止まり、私に言った。
「○○君じゃないか」
「いいえ、私は○○ではありません」
「いや、失敬した」
老人は軽く会釈をして通り過ぎて行った。
またしばらくすると、向こうから来た老人が驚いたように立ち止まり、私に言った。
「○○君じゃないか」
「いいえ、私は○○ではありません」
「いや、失敬した」
老人は軽く会釈をして通り過ぎて行った。
私は思った。
夢の中の私は現在の私でなく違う次元の私なのである。通り過ぎて行った老人はその次元の知人であり、私は現在の次元の私なのだ。
現在と過去が一つの次元で重なり合う、それが夢なのだ。起こり得ないことが起こり得る、それが夢というものなのであろう。
だから、夢は楽しくもあり、ばかばかしくもある。
(了)
以上が私の祖父、関和時男の最後のエッセイであるらしい。
10年ほど前、祖父から就職の内定が決まったお祝いのメッセージを葉書でもらったことがあるが、濃い青の万年筆で書かれたその文体はいかにも老人、というものだった。
こんな平易な文章かけたんだねぇ。
私と祖父は、文章について影響を受けた道筋はまったく違うはずだが、この「夢」というエッセイは私自身が書いていてもおかしくないほど、癖というか、傾向が似ている。
と、自己分析をする。
血ってすげぇなぁ。
祖父は本当に天邪鬼で、素直ではない頑固ジジイだった。
表では好々爺で通っていたようだが、家の中では優しいけれどもひねくれものでもあった。
(同居していたわけではないので、詳細は知らないけれど)
子どもの時分は、初孫ということもあり本当に可愛がってもらったものだが、思春期を迎えて以降は、ちょっと「大人なんだから」という態度を取られていた気がしていた。
一人前の大人として扱ってくれたことはとても嬉しかったのだけれど、祖父に甘えるということもあまりしなくなっていた。
もちろん、幼少期ほどべたべたに可愛がられていなかったという話であり、意地悪されていたとかそんなことはない。
随分と可愛がられていたとは思う。
ただ、祖父には祖父の世界があると、漠然と思って距離を置くようになった部分はある。と、今になって思う。
死後、祖父の親しくしていた方とお話をした際には、「孫が構ってくれない」とこぼしていたそうだ。
そんなことはなかったんだけどなぁ・・・
ああしかし、もっともっと、仲良くすることだってできたのだ。
正直、どうしようもなかったと思うので、後悔ということはしていないのだけれども、もっと祖父の書いた文章を読んだり、自分の文章を読んでもらったりしても良かったなぁと思う。
EVERNOTEの勉強なんかもしていたらしいので、そういうやり取りだってできたはずであった。
私の文は、一時期読んでくれていたようではあるけれども。
とりあえず、後何十年私が生きるのかはわからないが、あの世に行った際には色々話したいと思う。
別に仲が悪かったわけでも、誤解があったわけでもない。
私はきっと愛すべき孫であったし、私から見ても祖父は本当に大好きな人だった。
お互いの性質上、落ち着くところに落ち着いた。それ自体に後悔も反省もない。
ただ、私は今、生きて一緒に過ごしている人にはできるだけ素直に接しようと思った次第である。
一つ、祖父の死に際して私が後悔していることと言えば、叔母と私を間違えることが多くなっていたことを(というか、最終的にはどっちかというと叔母だと思われていた)正さないでいてあげればよかったなぁと。
そしてそれを、祖母や母にも言うべきだったと。
最後に会った日、祖父は私を「孫のみのり」として認識していたが、恐らく、どこかで「また間違えていないか」と思っていたのではないか。
私を見る目に、多少の不安があったように感じる。
本当に今にして思うと、なのだけど、それはとても可哀想だった。
別に、「娘のさつき」と思っていても良かったのだ。
死んじゃったから言えることだけれどね。
その時点では少なくともあと何回かは、会えると思っていたし。
ロックンロール的には、死後の世界とか馬鹿馬鹿しいのかもしれないけれど、私はなんとなく信じている。
人の死というのは、死ぬ側が何かを残そうとか伝えようとかするとなんだかズレてしまうことが多いけれど、残された側が勝手にあれこれ考えたり悩んだり納得したりする分には、非常に得るものが多い。
そのひとつの落とし処として、「死後の世界」というのは非常に大事な要素であると思う。
あの世では好きなもの食べて元気にやってるんだろうな、とか。
今私がこんなものを書いていることを、「あいつはまたあんなことして」なんて、フフンと笑っているのだろうな、とか。
そう思わんと、悲しくて仕方がない、ということも多分にある。
まぁ、とにかく、死ぬまで私は楽しく生きる。
最後に、「夢」を教えてくださり、掲載を快くお許しくださった「文章の会 せせらぎ」の佐久間様には、心からお礼申し上げます。